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2009.11.18 (Wed)

チャイコフスキー『ロココの主題による変奏曲(原典版)』

家の近くにベルリン芸術大学があるのですが、そこのコンサートホールで無料の演奏会が開かれたので足を運びました。チャイコフスキーの『ロココの主題による変奏曲』(以下『ロココ』とします)がプログラムに上がっていたからです。これまでロストロ/カラヤンの演奏で幾度となく聴いてきた、とても好きな曲です。

演奏が始まって数分後、第四変奏曲のあたりで思わず耳を疑いました。普通ならば一番最後に演奏されるはずのAllegro vivoの楽章が突然出てきたからです。「あれ、もう終わっちゃうの?」という気持ちになりました。それ以外にも、演奏される順番がいつもと違うように思われる箇所もありました。「一体どうなってるの???」と思いつつプログラムをよく見てみると、曲名のところに"Originalfassung"(原典版)という記載があるではありませんか!原典版?それならばロストロが弾いているのは一体何版?

そこで調べてみたところ、ロココという曲は、初演時のチェリストであったヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンが、チャイコフスキーに無断で変奏曲の順番の変更や改訂を行っており、それが現在まで広く知られているとのこと。不勉強ながら、つい最近までこの事実を知りませんでした。チャイコフスキー国際コンクールのチェロ部門では、2002年よりロココの原典版が課題曲として用いられるなど、原典版を広めようという動きが見られるようです。

しかしです。ロストロやフルニエといった大チェリストたちはフィッツェンハーゲンによる改訂版を用いて録音を残しているわけで、現在そのような「大」の字のつくチェリストが存在しない以上、無理に原典版を広める(または重要視する)必要があるのかな?という気がします。もちろん作曲者自身によるもの、という点での価値には計り知れないものがあることはわかりますが…。原典版は記録として残しておくだけで十分であると思います。私にとっては「今さら」という違和感の方が強いです。

(参考資料)
18. November 2009, Programmhefte von "konzert mit den berliner symphonikern", Universitaet der Kuenste Berlin, 1

(参考ウェブサイト)
Wikipedia 「ロココの主題による変奏曲」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%81%AE%E4%B8%BB%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%A4%89%E5%A5%8F%E6%9B%B2、2009.11.18)

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2009.11.17 (Tue)

クレメンス・クラウス指揮ベルリン・フィル演奏会

今からちょうど68年前の1941年11月17日。旧フィルハーモニーにおけるベルリン・フィル1941/42年シーズンの第3回フィルハーモニー・コンサートにオーストリアの名指揮者クレメンス・クラウス(1893-1954)が登場しました。クラウスは生粋のウィーンっ子で、ウィーン・フィルとのつながりのとても深い指揮者でしたから、現在ベルリン・フィルとの芸術を回顧する機会が非常に少ないのは残念でなりません。彼のベルリン・フィル初登場は1938年7月と、その名声の割には比較的遅いものでした。以後は終戦直前まで度々客演を行っており、この演奏会が開かれた1941年、そして翌1942年頃にピークを迎えています。

当夜の演奏曲目は以下のとおりです。


1. モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調
2. レスピーギ:交響詩『ローマの泉』
3. シューベルト(カサド編曲):チェロ協奏曲(チェロ:アルトゥール・トレスター)
4. R・シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』


1、3、4の独墺ものはともかくとして、2はクラウスとしては珍しいレパートリーではないかと思います。3のチェロ協奏曲は、アルぺジョーネ・ソナタをスペインの名チェリスト、ガスパール・カサドが編曲したもの。また開演時刻は空襲を警戒して、通常よりも早い時間に設定されていました。この演奏会は17時30分開演となっています。戦局が悪化してくると、もう少し繰り上がって15時に開かれるようになります。これに関連して、当演奏会のプログラム冊子には戦争の時局ならではの記載が見られます。

     "Bei Fliegeralarm muessen sich saemtliche Zuhoerer in die Wandelgaenge
               und Garderoben des Erdgescosses begeben"

    「空襲警報が発令された場合は、1階ロビーならびにクロークへお集まり下さい」


前述のとおり、この記載は1941年当時のものですから、第二次世界大戦が始まってまだ二年余り。私は、空襲は大戦末期の頃よりも激しくなかったのではないか、などと考えておりました。しかし、かなり早い時期から空襲の危険性は感じられていたようです。1943/44年のシーズンになると文言が多少変化しているのですが、それはまた別の機会に紹介したいと思います。

(参考資料)
17. November 1941, Programmheft des berliner philharmonischen orchesters spielzeit 1941/42
Berliner Philharmonisches Orchester, 5

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2009.11.14 (Sat)

ベルリン・フィルで聴いたショスタコーヴィチ『交響曲第5番』

本日、フィルハーモニーでベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会を聴きました。メインプログラムはショスタコーヴィチの交響曲第5番。フィンランドの若手指揮者による演奏で、この曲が視覚・聴覚の両面から楽しめる作品であることを改めて実感させられました。

そこで今回は、過去にベルリン・フィルでこの曲を生で聴いた経験を思い起こしてみました。


1. G・ショルティ指揮(1993年3月)
2. M・ウィッグルスワース指揮(1994年11月)
3. L・マゼール指揮(2000年3月)


1はWOWOWでも放送された演奏。1993年当時は、コントラバスのライナー・ツェペリッツやチェロのペーター・シュタイナーなど、フルトヴェングラー時代からの名物団員がまだ在籍していました。これらの人々が舞台に登場すると、もう胸がワクワクしたものです。ただそれだけで、このオケからは素晴らしい響きがするであろう、ということが十分に実感できたのです。ショルティの豪快な指揮ぶりと相まって、忘れがたい思い出となっています。

2の演奏会は、当初ラトルの指揮で予定されていたのですが急遽、指揮者と曲目を変更して開催されました。イギリスつながりということで、当時のイギリスの若手指揮者ウィッグルスワースにお鉢が回ってきたものと考えられます。前半のプログラムはブリテンの『シンフォニア・ダ・レクイエム』でした。この曲もタコ5もティンパ二が大活躍する曲。幸運なことに、この時はカラヤン時代の名ティンパニスト、オスヴァルト・フォーグラーが登場!私はPodium席で彼のすぐ斜め後ろに陣取り、それこそ音のシャワーを浴びまくったのです。私はこの時ほどティンパニ奏者の演奏に惚れ惚れした経験はありません。

3はマゼールの生誕70周年を記念しての演奏会。韓国の女流チェリストで、当時まだ16歳のハンナ・チャンを独奏者に迎えてのチャイコフスキーのロココも印象に残っています。また、この当時は現在の第1コンサートマスターの一人であるガイ・ブラウンシュタインが就任した直後であり、過度なまでのオーバーアクションで弾いていたことが思い出されます。タコ5はマゼールの緻密さ、凝集力が活かされた、ショルティに勝るとも劣らない圧倒的な演奏でした。それほどの名演にも関わらず、終演後のマゼールはメチャクチャご機嫌斜め!演奏に不満だったのか?それとも、サインを求める大勢のファンがうっとうしかったのか?(両方?)

三つの中からどれか一つを選ぶとすると、一番心に残っている2に軍配を上げたいと思います。ところで現在、ベルリン・フィルでタコ5を振る場合、最もふさわしい指揮者となると誰がいるでしょうか?個人的にはヤンソンス以外には思い浮かびません。後は高齢のマゼールに、これからも頑張ってもらう以外に無いような気がします。

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2009.11.03 (Tue)

彷徨の実況録音テープ

1988年11月3日。NHK-FMで「フルトヴェングラー - 彷徨の実況録音テープ」という番組が放送されました(たしか、そのようなタイトルであったと記憶しています)。戦後の混乱期に、フルトヴェングラーによる演奏が記録された録音テープがソ連軍により接収されていたのですが、約40年ぶりに所在が明らかになり、ラジオを通じてその一部が初めて公開されたのです。この番組では次の2曲がオンエアされました。

1. ブラームス:交響曲第1番ハ短調から第4楽章(1945年1月22-23日 ベルリン・アドミラルパラスト)
2. E・ペッピング:交響曲第2番ヘ短調(1943年10月31日-11月3日 旧フィルハーモニーホール)


1のブラームスは1月22-23日の二日間にわたって開かれた演奏会を収録したもの。第4楽章しか音源が残されていないのが悔やまれるほど鬼気迫る演奏です。番組ではカルラ・ヘッカー女史による当演奏会に関する手記が紹介されておりました。モーツァルトの交響曲の途中で照明が消え、休憩後は後半の曲目であるブラームスが演奏された、というくだりです。これは23日に関する記述です。当演奏会のプログラムのコピーが手元にあるのですが、これは冊子ではなく紙切れ一枚のみです。その当時、いかに物資が不足していたかを窺い知ることができます。

2の演奏会では、エルンストペッピング(1901-1981)の交響曲の世界初演が行われた他、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノはコンラート・ハンゼン)と交響曲第7番が演奏されており、現代の感覚からすると非常に盛り沢山なプログラムであったと言えるかと思います(しかも四日連続!)。ペッピングはオルガン曲等の教会音楽の作曲で手腕を発揮した人であり、ベルリンでは現在でも時折、それらが演奏されています。しかし、交響曲が演奏される機会はほとんど無いようです。交響曲第2番ヘ短調は比較的親しみやすい曲で、この放送を聴いてから好きになりました。ベルリン・フィルの演奏会でも再度取り上げてくれると嬉しいのですが…。

この演奏会のプログラム冊子は数年前に入手しました。以前、ベルリン・フィルの元コントラバス奏者で現在はシュターツカペレ・ベルリンで活躍されているクラウス・シュトール氏がPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)で札幌を訪れた際、一度お会いしたことがあります。そのときに、このプログラムを持参して見ていただきました。シュトール氏によると、「戦争の末期には燃料が著しく欠乏していたので、演奏会のプログラム等の紙類は火をおこすために使われていた。だから、こうして現存しているのは貴重だ。」という内容のことをおっしゃられていました。

「フルトヴェングラー - 彷徨の実況録音テープ」が放送されたのは1980年代後半で、いうなればCDが市場に登場して間もない頃でしょうか。それゆえ夢中になることができたのだと思います。今後、当時のような感動を味わうことは二度と無いかもしれません。

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2009.10.17 (Sat)

「別れ」をテーマとしたベルリン・フィル演奏会

10月15-17日の三日間にわたり、ダニエル・ハーディング指揮ベルリン・フィルの演奏会が開かれました。オランダの女流ヴァイオリニスト、ジャニーヌ・ヤンセンを独奏者に迎え、 以下のようなプログラムが組まれていました。

1. バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント
2. ブリテン:ヴァイオリン協奏曲
3. R・シュトラウス:交響詩『死と変容』


開演に先立ち、ベルリン・フィルの元ソロ・チェロ奏者であったゲッツ・トイッチュ氏による曲目解説が行われました。かつて舞台上で演奏していた経験が活かされた、聴衆にとって非常にわかりやすく丁寧な説明であったように思います。トイッチュ氏によると、今回の演奏会のテーマは "Abschied"(別れ)であるとのこと。なるほど、3については「死」という言葉から容易に想像がつきます。バルトークとブリテンは上記の曲を作曲後、故国を去らなければならなかった経緯があるといいます。ブリテンは結局、戦後イギリスに戻りましたが、バルトークは移住先のアメリカで1945年に死去。二度と故国ハンガリーへ戻ることはありませんでした。また、1、2ともベルリン・フィルの演奏会で取り上げられる機会の非常に少ない作品であるそうです。

ところで20世紀前半に作曲されたヴァイオリン協奏曲というと、まず何を思い浮かべるでしょうか?シベリウスやベルクといったところが代表格かもしれません。しかし、その他にも結構あるのです。シェーンベルク、ヴォーン・ウィリアムス、エルガー、そしてブリテン等々。ブリテンの作品は知名度は低いものの、あの大ヴァイオリニストのハイフェッツをして「演奏不可能」とまで言わしめた難曲です。それを、まだ30歳そこそこの女流ヴァイオリニストが完璧に弾ききってしまうのですから、ヤンセンも大したものです。何度もオーケストラの方を振り返ってコンタクトを取っている姿が、とても印象的でした。

R・シュトラウスの交響詩『死と変容』については、先のトイッチュ氏によるコミカルな体験談を聞くことができましたので紹介したいと思います。

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「ベルリン・フィルがアバドに率いられてイタリアへ演奏旅行に行った時のことです。プログラムにはR・シュトラウスの交響詩『死と変容』(ドイツ語で "Tod und Verklaerung"、トート ウント フェアクレールングと読みます)が組まれていました。演奏会後、オーケストラのメンバーは晩餐会に招待されたのですが、そこにはたくさんのイタリア料理がビュッフェ形式で準備されていたのです。二日ほど経過すると、私たちはすっかり "Tod und Ernaehrung"(トート ウント エアネールングと読みます。「死と栄養」の意味)の状況となってしまいました。」
                               
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聞いていたお客さんたちは、ここで大爆笑。私は細部まではよく理解できなかったのですが、"Verklaerung"(変容) と "Ernaehrung"(栄養) をかけたシャレであることは間違いありません。日本語に訳してみると、きちんと韻をふんでいるのは偶然でしょうか?全く不思議です。きっとベルリン・フィルのメンバーは、おいしいイタリア料理をたらふく食べたのでしょう。

10月15日の演奏会では、『死と変容』の演奏中に、ちょっとしたアクシデントが発生しています。突然、舞台上方から「バチーン」というニブい音が聞こえ、閃光も見受けられました。ティンパニ奏者のゼーガースも思わず上を見上げていたほどです。どうやら照明のいくつかがショートして破損したようです。幸いなことに、さしたる被害は無く、演奏会はそのまま続けられました。

ジャニーヌ・ヤンセンのサイン最終日の10月17日には、終演後にハーディングとヤンセンのサイン会がロビーで行われました(左の画像はヤンセンのサイン)。間近で見たヤンセンの印象は「でかっ!!!」の一言です。私は身長が170cmなのですが、それを遥かに上回っていました。それから、すごくお転婆そうな、どこにでもいるごく普通のお嬢さんという感じ。ステージ上における勇姿とのギャップには少なからず驚きを隠せませんでした。

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